達成義務からの解放 need (more) achievement?
yesterday i did bit of my side job (illustration cuts); sometimes I daydream about becoming an professional artist, but i know rationally I am not that good enough (to earn money only by drawing) nor i don't have any art "network" ot connections.
(the little drawing jobs I get are mainly from the university people, means that if I quite university job I won't get these illustration jobs, either.) But at the same time, I know I am not a talented researcher, which makes me difficult to clime up the academic-career ladder.
昨日はうちで副業(イラストのカット)の内職をしてました。うーん楽しい。副業だから楽しいのでしょうが。でも時々本業でストレスがたまると「もし絵一本にしたら」と白昼夢をみてみます(現在のボスにも「将来の夢はイラストレーター」と就任1ヶ月目にうっかり言ってしまっています。このエピソード、またの機会に・・・)。で、5分後にはその非現実性を悟り「今だからどれも出来てるんだな」と納得する、というパターンです。
というのは、まず、二足のわらじを一足にしたからといって、そのひとつのレベルが上がる訳ではなさそうだから。私の場合、ですが。以前「この1ヶ月勉強も何もしなくてよくて、絵だけ描いてていい!」時期があり、その1ヶ月を楽しみにしていたのに、いざその環境に置かれて見ると、題材も紙も絵の具も時間もあり、つまり物理的条件は全て揃っているのにぜんぜん描けなかった。私にとって絵というのは自己表現で箱庭療法、同時に日常から遊離体験するための行為、なので、何も対処しなくていい(療法のいらない)空っぽな日々には絵は描けないということです。
加えて、イラストのお仕事は大学関係者からの口コミを通じて、が9割。芸大を出てるわけでもなく宣伝もしておらず、イラスト業界のネットワークに属してない私としては、自分が働いて(属して)いる小社会があるからこそ声をかけてもらってるだけのことなので、もし本業をやめたらイラストの仕事も来ない、から
(ネットワークとかどうとかまったく関係ないくらいにすばらしい才能があればまた別でしょうが、私レベルのイラストを描く美大生が山ほどいるということは、京都暮らしの時に痛いほど知りました←京都は美大生人口/市民総人口が日本一?でしたっけ)。
I enjoy teaching, but not so much about research, and my job title now is okay with it (no obliged goals for research / publication, as for the professors) - but still, I feel the pressure Myself - that I am so imperfect in this university environment. I have to publish. I have to...but I cannot.
I can feel the passion (becoming empty first, and then inspired by something from above, that kind of ecstacy) when I am drawing, but rarely when I am trying to write some research-related thing. Mmm.
I had thought, when I submit the PhD dessertation I can liberate myself from this "need achievement" pressure. But it continues! "need More achievement" pressure (Of course, for real talented post-docs, it's not pressure but a joy, I guess).
The book "Kekkon no Joken結婚の条件" by Chikako OGURA小倉千加子 (psychology professor) talks about what Japanese women want / get by getting married; "stable income安定した年収", "plenty of free time豊富な余暇時間",
(because these women are Happily dependent on husband's income, so she does not need to work; and it's not as bad as foreigners say "but it's male chauvinism!" - because Japanese husbands today do help housechores. besides, economically, becoming a housewife, you can get much better lifestyle, even economically, compared to being a single career woman; no tax, no pension contribution but get much more back from the gov. etc)
and, "liberation from the need-achievement pressure達成義務からの解放" !!!!! once you are married, you do not need to study/work/achieve anymore. sounds great. Easier life!
but at the same time, this is also why Japanese economy is downhill these 10 yrs. I once took a note in a lecture by a sociologist, why America is powerful is that anyone of any class, regardless of sex, feel "I need achievement" "I need to study / work harder". Same as in Hong Kong.
Anyway, in short, I am lazian (lazy person), and at the same time I am so coward that I can never become freelance illustrator.
then, last week, my friend (female architect in HK) came up with a suggestion; "Kiyoko, why don't you become a draft(wo)man (in japanese-english "tracer") of architecture? you can get stable salary and drawing is something you enjoy. my previous company was seeking for one. not only computer drawing, add some personal artist's freehand touch"
good idea. Draw architecture everyday! ...but I said no. Because if I work in an architectural design firm, I will feel another pressure myself, even though nobody is expecting me to do so - surrounded by the architects, and drawing what they had planned, I feel like "I need to become architect myself."
and i know it must be even harder than now, because I had tried once (10 yrs ago) and realized I lack something to become an architect.
If you have more goals and efforts towards them, life is more lively, but it comes with pressure. I wish someday I can find my life-long-work with "enjoyable pressures" !
それに絵一本でフリーランスになると、最初の2年くらいめちゃくちゃ不安定で、仕事がまったくない=収入がまったくない月もあれば、最初は自分を確立させるために来る仕事を断ってはいけないので、ずっと眠れない日々が続く、というのも聞くし(収入や睡眠のない不安定な状況で余計に良い絵が描ける天才肌の人もいるんだろうけど)凡人の私には睡眠とちゃんとした布団、食事は良い絵を描くための最低条件・・・・。
と言っていたら、先日、建築家の友人がこんな提案をしてくれました(ちなみに今香港の建築事務所はどこも大フィーバー。香港だけじゃなく、中国やマカオのプロジェクトがひっきりなし。日本の80年代の比ではありません)。彼女の前の会社で「パーソナルなアーティスティックタッチを加えられるトレーサー(ドラフトマン、完成予想図等を描く人)」を募集中。
いまどきパソコンでなんでも描けるからこそ、フリーハンド(←ソフト名じゃなくてホントにフリーハンド)で描ける人が欲しいそうなので、キヨコどうか?まさにうってつけではないか、毎月安定した月給が入る上に、絵毎日描けるんだよ。好きなことを仕事に出来るなんて素敵じゃない。と言ってくれたのですが、
やっぱりやめました。今の仕事が好きじゃないわけじゃない(えらい遠まわしだな)。やりがいもあるし、学生さんたちから与えてもらうものも大きいし、何しろ20代後半がんばったのは今のためじゃないかと思ってしまう
(いろんな人に苦しいとき支えて貰いながら、研究助成金なども頂きながらここまで来た、というか来させてもらったんだから、今の状態を感謝してがんばることで、間接的に彼らに恩返しできるのではという解釈もあります)。
なのに時々現実逃避をしてしまうのは、やはり仕事からのプレッシャー。でも、そのプレッシャーを与えてるのは環境と言うよりも自分です。教えるだけならいいんですが大学教員には無言で(私は研究職じゃないけど、それでも)「研究バリバリしろ」プレッシャーがあります。でも厳密には、もし今の講師のままでいいなら別に研究成果がなくてももうしばらくは生きていけるはず。
なのに、私は研究が出来ない、出来ない私はダメだ、価値がない、と思ってしまう。ボスも誰も私を責めていないのに自分で「研究が出来ない私は本当にダメだ」とやりきれない思いになる。
研究の「ぴかっ」という才能が無いというのはM1くらいから気付いており、大学院をやめることも何度も考えたけどやめられなかったのは(私の性格上)やめたら一生、余計に大学院に縛られそうだったから(いつかまた院に戻って博論を出さなくては、あのとき出していれば、と思い続けながら日常生活を送り、後悔とともに年を取っていくのはしんどそうだったから)です。
だから学生として最後のハードル、博論を出せば当然「達成義務」から解放されラクになれる(私はこれをいい区切りとして研究をやめられる)と思っていたのに、いざ待っていたのは「もっとがんばれ、もっと」という自分に対するプレッシャー。
(小倉千加子の『結婚の条件』によれば、日本女性は結婚=性的自己実現によって社会的な「達成義務からの解放」を手に入れ、もう社会的にがんばらなくてもいいはずなのだが・・・色んな例を見て思うに、解放されてる女性のほとんどは、実はそもそも達成していないからかもという気もする。
達成した後解放された人と言うのは、やはり自分が納得できるまでに苦しみがあるように思う。達成するまでの努力を振り返ったり、努力の結果「やったーーー!」という爽快感を一度でも味わったら、そう簡単には(性的達成感のためだけには)投げ捨てられないと思う・・・のだが、本にあるように、達成していない組こそが「あなたのために捨てるのよ」としたたかに男性を喜ばせることが出来るという仕組み。
ていうか、男性ってほんとにピュアなのですね・・・。男子学生に対しておこなった調査結果とかもこの本に載ってるのですが、あーもしこれらのことを20代に知っていたならば(私は「負け犬」にならず30までにうまいこと結婚していたのかも なんて)!
でも、このタイプの女性、勝ち組女性の術というのは本を読んで学習できるものではなく、もって生まれた「才能」で、勝ち組主婦になれるかどうかというのはもう5歳女児の時点でほとんど決まっており(+あとは母親の影響)、この種の女性にインタビューをしてもまさか自分がそのカテゴリーにいるとは微塵たりとも自覚していないそう。つまり彼女らにとって「自然」なんですね。)
もちろんこれは私に研究の才能がないからで、本当に才能がある人にとってこのプレッシャーは喜びなんだろうと思う。
私は絵を描いてる時、3回に2回、「描き始めて20分で周囲の音が聞こえなくなり、飲み食いにも興味がなくなり、上からなにか降りてきて、アドレナリン出て、まっしろ、エクスタシー!」というのがあり、完成品のためというよりは、あの「まっしろ、エクスタシー!恍惚・・・」という感覚のために描いてると言っても過言ではないのですが、
残念ながら研究をしていて一度もこのエクスタシーに達したことが無い。せいぜい「上から降りてきて」書ける、どまりなのだが、この「ぴかっ(電球マーク)」も1-2年に1回もない・・・。本当の研究者というのは、研究に向かうたびに(または頻繁に)あの恍惚感を感じてるのかと思うと羨ましくてたまらない。
話をもどすと、それでもし建築会社の話を受けた場合、容易に想像がつくのが、私は自分に別のプレッシャーを与えるという図です。
建築家が設計したプロジェクトを絵にする。下請けです。最初は慣れるのに必死だろうけどそのうち「自分で設計したものを絵にしたい。○○先生のじゃなくて」「ずっとドラフターは嫌だ。やっぱり建築家になるべく勉強しなおそう」と思い、自分を追い詰めそう(元建築学生で挫折してるだけにタチ悪そう)。そしてまた別の達成義務に苦しむ・・・
んだったら(つまりこの性格ではどこに行っても一緒なんだったら)今の仕事をあと3年くらいは頑張ってみなくてはと思いました。
(でもこの私がいつも自問して疲れる個人個人の「もっともっとNeedAchievement」という意識が、社会全体を向上させる力であることも確か。
香港なんかはそのいい例。土曜日の午後に通ってる仏語学校のクラスメートたち、土曜の午前中も仕事なのに、めっちゃ一生懸命でほんと驚きます。既婚の女医さんとか既に成功してるビジネスマンとか猛烈に忙しいのに「もっと勉強したいから」だって。
既に管理職に上り詰めて定年を迎えた某氏は「今度は理系の勉強をしたい」と化学を勉強開始、しかも修士までやる!と意気込んでおられ、そういえば私の上司の一人(歴史学博士、ハーバードから本を出してるくらい成功しているので、私がもし彼ならもう現職で満足してそうなのだが)は定年退職したら生物学修士を取りたい、
生物の中でも○○に興味があるんだ、まったく違うことを勉強したらもっと面白い歴史研究が出来ると思うんだ!と嬉しそうに、そして真面目に言っておられました・・・学務もいそがしいのに毎週末中国各地に出かけ講演してるエネルギッシュな彼ならほんまにやりそう。おそるべし香港パワー。そりゃこの街に活気があるのも当たり前だよなぁ。
「一生、勉強、努力」という姿勢を持つことは自分の利益だけじゃなくて社会全体の利益になる、かつてのアメリカはだから発展しより多くの才能をひきつけたんだと社会学のレクチャーで昔聞きました。
日本の高度成長期に関して考えても、ベトナム・朝鮮戦争特需だったからってだけじゃなくて、日本のお父さんたち個人個人に「もっとがんばる!」って気合が高かったのだろうか。)
(photo-right: night view in Shatin, Hong Kong)